2015年2月3日火曜日
おもい
2001年9月11日、私はNYで暮らしていた。
雲ひとつなかった抜けるような快晴のその日、World Trade Center に2機の飛行機が突っ込み
テロが起こった。
本当にたくさんの人が 次々にビルの窓から飛び降りていく映像が流れていた。
ビルの中にいても、もう助からない。
内から迫る煙の苦しさと絶望が、彼らにビルの窓を蹴破って 飛び降りさせたのだろうか。
ゴミ回収日に、収集車にポンポンとほり投げられるゴミ袋のようだった。
新聞には、ちぎれた片腕の写真が載っていた。
その人差し指はどこか一点をさしたまま、ちぎれていた。
アパートの上空には真っ黒な戦闘機が低空飛行していた。
あぁ、もしこのまま地上戦になったら・・・と、まだ現実を受け入れられていない私は
うっすらと、でも確実に戦争の匂いをかいでしまった。
あの日、初めてテロ・戦争をリアルに体感し、外部からの 簡単には逆うことのできないであろう巨大で膨大なうねり狂った流れを・
狂気的なエネルギーを体感し、報道の偏りを目の当たりにし、人間の身勝手さを感じ、胸がざらつき、子宮がざわつき
正直に怖いとおもった。
以来、世界中の人がそれぞれの違う正義をもち、違う価値観をもち生きているという事をリアルに認識した。
日本に19歳まで住み、その後ダンスをもっと勉強したいと思ってアメリカに渡った私には、
中東やアフリカ・アジアの複雑な成り立ちなど現実に体感したとこはなかった、と言ってもよいだろう。
アメリカが良くも悪くも「自称・世界の水戸黄門」的な感じで存在しているなんて、その時まで思ったことはなかった。
数秒前まで普通の日々を過ごしていた大勢の人たちが、人間の故意によって一瞬にして命を奪われる。
そんな事がすぐそこで起こるなんて考えた事はなかった。
争いを争いで返す、やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返す、恐怖を恐怖で返すことを繰り返していては、
いつまでたっても何も終わらない。何も変わらない。
100年後も、200年後も、間違いなく争いは続く。
では、お互いの常識や正義・価値観がまったく通じない相手にやられた時、どうすればいいのか?
もし、自分の肉親や親友を殺されたときに私は冷静でいられるのか?
そう思うと心が引きちぎられる。
これまでの様々な出口なき争いによって命をおとされた方々に
心よりご冥福をお祈りいたします。
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